Thursday, May 26, 2016

贔屓の引き倒しなんだろうとは思う

銃規制強化、健康保険, 移民法改正、キューバとの国交回復など。

表層的な理解しかなくて、瑕疵やら (お題目とは別の)実利あってのことだろうとは思うが、 「ベクトル的」にはこれらは良いことに思え支持したいし、今トランプが言ってることとは真逆の方向。

広島を訪問しただけで劇的かつ有効な変化がもたらせられるとは思わないが、 「不完全」で「無矛盾でない」から「やってもしょうがない」とは思わない。 「できないことはできない」けれども「できる(かもしれない)ことも、やらなければできない」と 考えれば、今まで誰もしなかったことをやるのは意味があるのではなかろうか?

「謝罪」がキーワードになっている。 しかし現在の大統領が 71年前の核使用の決断をしたわけではない。 できることはそれこそ「核なき世界」へ一歩でも進むこと
そのためには 核の被害を目の当たりにさせること
そのために「核使用が戦争終結を早めた」という手前味噌な論理*を起こさせない、
そしてそのためには「謝罪」を玉虫色にしておくのは有効だと思ってしまう。 それこそ「贔屓の引き倒し」なのかもしれない。 それでも「よいこと」だと思ってしまう。

*日本がボロボロになっても「本土決戦だ」という声があり、8/15の終戦時でも戦争継続しようと いう勢力があった。 今の日本でも「核武装するべきだ」なんて声もある これらを考えると、手前味噌とは言い切れない。

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